しなやかに生きる③

今回3回に渡って書いています発達障害とそれに関わる心の変化に関するお話になります。

私の強みって何だろう?と思った時、子供の頃からですが、「沢山失敗したこと」 だと思いました。

色んな事に失敗することが如何に人生に深みを出してくれるのかというのがよく分かるので、それを思うとこれから先の人生も楽しみでなりません。

出来るだけ失敗や痛みは減らしたいけれど、そうならなければ分からなかった事は沢山あるし、経験する度に1つ大きくなれる気がするので、これからもこの感覚は大切にしていきたいことです。

過去を振り返る

経験不足から来る失敗や、いじめに遭った時もそうですが、周りも知識や学習が足りないので、そうなってしまったのかもしれないし、人種差別も教育が足りない結果かなと思います。

最近人気の本を載せておきます。ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 

貧困や差別、いじめなどを英国で子育てする中で感じたことを息子さんの子育てと併せて、ドタバタを書いた本でベストセラーに成っているもので大変面白いなぁと感じた次第でした。ハーフという言葉も日本では浸透していますが、直訳すれば半分という意味です。先日タクシーに乗った時運転手さんが、ジョージア人とロシア人のミックスだとご自分のことを紹介してくれました。また最近は「ダブル」と言う方も増えてきたと思います。

些細なことかも知れませんが、やはり多様化した現在様々な事に気を使い発言する言葉にも気をつけなければならないなと感じた次第でした。

ちなみにこのタイトルは筆者の息子さんがノートに書いていた言葉でした。

自分自身も同じような経験があるので書いてみますが、子供の頃の話をすると、小中は田舎の公立学校で排他的で保守的な所でしたので特質が大きかったのもありいじめに遭いました。どうやっていじめから脱したかといえば、またそのヒエラルキーのトップに立ち学級委員とか生徒会長をしていた時期も有りまして…結局出過ぎた杭は打たれないで対抗していたんですが、本来はのんびり暮らしたかったです。勿論トップに立ってやるとは思っても居なかったし結果としてそうなっていたんですが、もっと違う生き方は遭ったと思いますし、自分の将来をもっと真面目に考えたかったなと今振り返ると思います。

高校生は兎に角アルバイトをしていたので話は割愛します。

うちはそこまで貧しい家庭ではありませんでしたが、早くから自立しなさいと言われお小遣いは貰えませんでしたので、自分で働いていました。たまたま起業したのも大学1年のまだ18歳の頃なので、高い意識もなく結果としてそうなりました。自分はどちらかと言えば偶然の連続でした。

1つ言えるのは公務員が非常に多い家庭で、政治家やお坊さんが親戚で家によく来ていて祖父が相談役だったので、大人の世界を子供の頃から見ていた気分ではありました。堅い仕事とか国の仕事というのを身近で感じ、体裁を大切にし、主体性が持てない仕事と勝手に思っていて、私は絶対に公務員にはなりたくないと思って育ちました。勿論公務員は素敵なお仕事だと思うし、経済的安定は心の安定に繋がるので、良いことではないかと今の私は思っているし、どうしてあんなに公務員嫌いだったんだろう?と不思議では有るのですが…子供の頃から自分は、もっと言いたいことを言ってやりたいようにしたいと思ってたからだと感じています。

大学時代はカトリック系の白百合女子大という所に通っていて、ガラリと雰囲気が変わりました。

最初は仙台の白百合女子大で学びましてその後東京の白百合女子大に行き発達心理学と教育学を中心に学びました。名前を出したのは、どちらの大学の先生もとても優しくアットホームなので、ここは大学なんだろうか?と思った位だったからです。高校の時の先生よりも教授は中立的な視点を持っていて優しくて、ホームルームのようなものがある学校で、小規模なので大学を出てから各種資料を取得する際など連絡しますが、未だに親切で優しくしてもらっています。

今別な大学にも行ってるんですが対応が全然違います。寧ろ今の大学のほうが実践的で就職のこともしっかりと考えている学校ではあるとは思いますが、自分の特質に合った学校選びは大事だなと感じました。それに大学の勉強はとても楽しかったので本当に行ってよかったです。

当時の同級生達は親が大学の先生をしていたり会社経営者だったり、大企業に勤めていたり基本的にはそこそこ裕福な家庭の人たちが多かったので、皆とても優しかったです。劣等感や貧しさからくる軋轢もなく、差別もないので楽でした。私の家は公務員の父親と銀行員の母親の田舎の一般家庭でしたので田舎に居る時は嫉妬される事もあったんですが、大学へ行くと寧ろ普通で、其の中でははっきりいって裕福ではない方でした。

だけど、あまり派手な暮らしをする人も少なく、穏やかな暮らしをしている人が殆どでしたので、そこも良かった所でした。

大人になってからも、仕事の関係で周りは経営者やお金持ちの方も多いのですが、大体皆さんとても質素な暮らしをしているんだなという印象です。本当にお金持ちの方って倹約家の方も多くて、凄いなぁと思います。

私自身は仕事の為に身なりを整えることがあっても、其れ位だし、家もリモートでカウンセリングや仕事の会議などあるので、其のために少し家の見た目や騒音も気にしないで良い環境を選んでいますが、それがないのであれば、全然どこでも住めるし、エアコンもない木の家でも良い訳です。ただ、それなりにお給料を頂いている以上、ある程度整えておくことは大事だとは思っています。

色々本題がズレてしまって申し訳ありませんが、3回に渡るシリーズで第1回目はADHDは狩猟民族? という話でした。第2回目はあるがままに受け止める という入院した時の話と心の回復についてでした。いつか病院の中での生活についても書いてはみたいです。

なによりも規則正しい生活をし、睡眠・運動・栄養バランスの取れた食事と人とのおしゃべりや趣味の時間などがあれば、大体人間は元気になるというのを実感しましたので、一番それは実践して欲しいことだなと思っています。それから携帯電話などはすべてナース室で管理され、使用する時間も決まっていましたので、普段の私達の生活でも、使わない時間を増やすというのは人間の心にとっては健康にもつながることかと思っています。

前置きが長くなってしまい申し訳ありませんが、今回は病院を退院後沖縄の離島に移住した話を書いてみます。移住は色んな事がありました。人付き合いや商売することの大変さなど、色んな事を学んだ日々でした。

移住先は沖縄

沖縄の離島を選択したのは、ダイビングをしていて、こんなのどかで穏やかな所に暮らしていたいなという思いがあったからでした。海に潜れば魚群に出会え、サメやマグロにも会えるし(ただその後大きな魚が怖くて苦手になりました)水深が深い海でしたので、生態系も面白くて、楽しかったことを覚えています。魚って性転換する種類も居たりします。オキナワベニハゼは、大きいオスが居たらその他の魚はメスになり、生命を残します。その上オキナワベニハゼの凄いところは何度でも性転換出来る点です。オス→メス→オス→メスと言った形で、その時の環境でどちらにも変化することが出来るのでとても面白い魚だと思いました。とても狭いエリアで暮らしているのでその術を身に着けたそうですが、なんて切り替えの早い生き物だろうと関心してしまいます。また陸の上でも新種の動植物を探すのは楽しく、専門家の方々と山に入る機会も多かったのですが、とても楽しかった思い出です。

その時の活動はまだ認知されてはおらず、地域住民との軋轢も多く、館長の子どもたちまでもがイジメの標的にされたり、とても大変だったんだけれども、ご夫婦がとても素晴らしい方々で、尚且そこに集まり支援する人たちも素敵な方が多かったです。様々な活動が認められて国からの支援や援助が行われるようになり、宮崎駿監督もその活動に支援して下さり、今は町をあげたビックイベントへとなりつつ有るようです。

館長と奥さま、そしてその周りで活動をする方々の働きはまさに「愚直の一念」でした。島にいる間活動を支援し見てきましたけれども、時には怒号が飛び交い、環境保護活動を邪魔される事も多かったです。

でもね、生態系を守るために地道な活動をずっと続けていて、自分たちの想いっていうのを貫いていたので、最初の活動が本当に少ない人数だったにも関わらずちょっとずつ支援者も増えて行き、広がっていった世界でした。

毎日コツコツ続けていれば認められる時が来るんだなって実感し、勇気づけられた話でもありました。館長ご夫婦が最初島に来られた時は仕事が無くて最初は出稼ぎで本島に出掛け、塾講師をしている時代があったり周りの人が野菜を差し入れてそれで生活していた時も知っているので、尚更今の成長した姿は、とても感慨深いし、あの当時だれもが振り向いてくれなくて協力的じゃなかったのに…その熱意は逆転させるんだなと教えてくれて、非常に勇気づけられています。見習いたいご夫婦です。

ダイブマスターの資格を取って海のお仕事もしてみて…。

退院後は断薬にも成功し、先生の許可も貰えたので、ダイビングを再開しました。移住前はダイブマスターの勉強をはじめまして、学科と実地試験がありまして、水泳の耐久テストや、救急救命法としてAEDを使った心肺蘇生法を学んだり、水中で地図を書いたり、100本以上の潜水が必要になるので海は沢山潜りました。

ダイブマスターも無事取得出来ましたので、沖縄移住…。荷物は車に詰めてフェリーで沖縄に運んでもらいました。途中引き継ぎしてくれる業者さんが居て、多分手数料が1万円位で請け負って貰っていたと思うので、それでお願いして、あとは私は動物を飼っていたのでその子達を連れての移住でした。

移住後の生活

移住後は主にご近所さん達とダイビングに行ったり、漁師さんの手伝いをしました。海に潜って貝をとったり、もずく漁に行ったり、ダイビングとは関係無いですが、マグロの一本釣り漁船に乗せてもらったり、毎日船に乗って海に出るのは健康的で最高でした。身体を動かして、夜は適度にお酒を飲んで後は寝るだけで朝起きたらまた海に行って…南の島の生活はとても楽しかったです。

ただダイビングをしていると、心配になる病気は減圧症の問題でした。

意外と繁盛期は忙しく激務なので、潜っては行けない程潜って居る方も多く、減圧症であることを聞かされることは多かったです。血管の中に気泡が入ってしまう病気で、一度その病気になると二度と治らないと言われています。飛行機に乗ることも出来なくなります。

無理をして若いうちから病気される方も多く、身体の負担が半端ないので、そこまで情熱を掛けられないものかもしれないと早々に超プロな世界からは退散し割とゆるく頼まれたら行く位の仕事で居たので良かったんだと思います。

他漁師さんの中には、ダツが身体に刺さって怪我された方も居ましたし、海の中でモリで魚をついていると、人間を襲うイタチザメなどが付いてきてしまい海の仕事を辞め人たちも多かった気がします。

結構大変な仕事なんだなぁと実感しました。

知り合いのプロダイバーさん達の約半分以上は陸の仕事に転職し、残るのは店舗を構えた方々なので、実際は想像以上に過酷なお仕事でした。重労働なのにお給料が低い問題はあると思います。

ダイビングもタンク代というのは1本500円位ですが、実際は3000〜5000円です。それプラスガイド代や船代等が付くので2本潜ると1万円位の高額にはなりますが、それはもう仕方ないことかなとは思います。天候に左右されるので1年間働ける商売ではなく繁盛期に1年分を稼ぐ必要もありますから…。

良くタイなどでは仕事を手伝ってもらいながらダイブマスターを取得するコースなども有るかとは思いますが、最近は労働基準法でそのようなことも法律違反と見なされ、捕まる人も出てきたりしていました。

お給料が出ないけれども、殆どお金が掛からずダイブマスターを取れるのは、お金のない若者とオーナーにとってもWin-Winの関係にはなるので、そのようなことが日本でも一部あります。

大学のサークル活動、特に体育大学出身の方が夏に来てくれたら良い労働力にもなるしオーナーは喜びますね。ただそうやって働かせることは違法ではないにしろグレーの部分はあるので、他の海の仕事をする人たちとは軋轢も生まれますし、意外と海はギスギスしていて、それが嫌であまり深く関わらないように離れた部分もありました。

沖縄ではワースタではありませんが、アマチュアライセンスで受付事務として入り、初月の給料は5万円。

食費と寮費が引かれて手取り3万円がおこづかいでした。

休みは多くて週1日、週ごとに混み具合を見ながら休みが決まるので、予定は立てられません、1ヶ月以上休みが無いこともありました。

今思うと休みの日にタダでダイビングができるとはいえ、ワースタでもないのに朝7:00~23:00前後まで働き詰めで3万はやばかったと思います。

労働時間が長すぎて休みは寝て過ごし、ダイビングをする機会も少なかったです。

1年働いて慣れた頃には給料は倍近くになりましたが、それでも内地で普通にバイトした方が給料は良いと思います。

イントラを持ってる人でも給料は手取り10万前後でした。

出典:VSブラック企業

たまたま見かけたHPから引用を乗せてみましたが、こんな感じのお店ももちろんあるし、女性オーナーのお店は追い出しのいじめを受けて可愛そうな人も居ました。若い女の子なんかは上司に性的搾取に遭っているような事もあり…リゾートバイトの闇みたいなのも見た気分でした。

どちらかといえば、大きいホテルに居たほうがまだ良いかも知れませんがそれもそこに入る人で決まると思うので、ちょっと仕事してみておかしいと思えば別な所に移るのも大事だと感じました。もちろん、良いオーナーさんも居るんですが、その人達は殆ど短期の住み込みバイトとかは雇わずに、家族経営している人が多かった気がします。

島生活は、いろんな関係が有るんだなと思いながらも、何処にも所属しては居なかったので楽には暮らせましたが、ダイビングショップを利用するのには、色んなメンツもありますが、あちこち行きにくくそれは辛かったかなと思いました。客が何処に行くのも勝手だと思うんですが、取った取られたの世界になるので、オーナーさん側で線引きされるみたいな…。ちょっとそれはギクシャクでした。

またいつも船に乗せてくれたキャプテンが、「ほら今ジェットスキーで行ったあの人達やくざだよ」と言ってきたり…。

ちょっと面白かったけれど、根深い問題というか、好立地な海の前で海の家や海の仕事をするにはかなり色々と大変な事が多く、元々仕事をしていた人達しか入れないし、その隙間に入れるのはヤクザという世界で…。

パラソル立てるだけで3000円とか5000円の世界です。綺麗な海があればそれだけで儲かるんですから、場所の占拠問題は絶対に出ますし、隣同士の業者は大体仲が悪くて、お互いに文句の言い合いです。

海の前にキッチンカーを置いて沖縄ぜんざいやかき氷屋さんもしましたが、やっぱり間には地元の人が入ってくれていて、場所を借りるのも話を通して貰いました。そして場所代も勿論支払います。

今はまた違うかもしれませんが本質的には変わってはいません。私が行った頃は島には不動産屋が無い時代でした。沖縄の外から来た人がかろうじて不動産屋をはじめた状態でしたが、それまで沖縄で家を借りるのは(特に離島)自分の足で空き家を探し、交渉する必要がありました。

その時は、その島から無人島への観光船を出している会社の人にお願いしました。

だけどやっぱり、悪い噂を流して、商売を邪魔する人たちも多く、内地の人間の追い出しをそうやってするんですね。狭すぎる世界のギスギスした関係っていうのは、面倒に感じたので、そこで何か商売をせずに、フワッと生きられる生き方を探すようにもなりました。

狭い島って意外と大変だし、狭い中で結婚離婚も多くて、あの方が元奥さんとか、親戚関係、子どもたちも複雑過ぎて、どんどん人間関係が面倒になったことも覚えています。普段の生活の面倒なことが島だとより聞こえてきちゃうんですね。

そのうち面倒なことは一切関わらないようになり、自分のペースでのんびり暮らすようになりました。人の居ないビーチで泳いで人の居ない所でバーベキューして、周りに何を言われても気にしないのが一番ですから…。

本当ただそれだけで幸せだし地元の人達が家族を大事にしてその小さなコミュニティの中だけで生活するのも分かる気がしました。

でも私は割と色んな人達に可愛がってもらったし、良くして貰ったと思っています。色々と面倒だなと思うことも多かったけどそれも学びになったし、良かったことではありました。

沖縄移住の話は、何処かに移住する時には役に立つお話かなと思います。私は沖縄本島と別な島でも暮らしたことがありましたが、沖縄本島くらい大きな島の方が暮らしやすいかなとは感じています。土地も広く、コミュニティーもそんなに狭くはないので生活が楽です。

勿論元々住んでいる沖縄の方の生活を尊重することが第一で、それからそこに住まわせてもらっている事を意識して暮せば、どこでも暮らして行けるのかもなぁと思いました。私が大好きだったご夫婦は島の中でも山の中でパイナップル農園を作って暮らしていましたが、少し人里離れた場所で暮らすのは悪くはないなぁという印象でした。

沖縄移住を夢見ている方や海外で暮らしたいという方にも、少しどんな側面が有るのか見てもらえたら嬉しいです。