愛路(める)のこと:名前の由来や生きてきた道について

2020年12月31日

めるちゃん大好きなさくらんぼを眺める…。

はじめましてこのブログを運営しています「愛路(める)」と申します。どうぞ宜しくお願い致します。

めるは昔私が一緒に暮らしていた動物の名前で、上の写真の子が「める」と言います

コモンマーモセットと言われる南米原産の小型の猿でして、ワシントン条約2種で保護され、規制がある動物ですが、日本国内での繁殖のみ、ごく一部が売買されていることと、実験動物として使われたりもしています。

私の場合は、活動をしていた訳では有りませんでしたが、保護動物が家に色々居まして、そのつながりで産まれたばかりの「める」のことも家でお世話することになりました。

元々動物は好きでした。

田舎で育った私は小さい頃から、家や近所には犬や猫が居て、半農の生活をしていた家族は、生計の為に農作物を作るのではなく、家で食べるために育てていたので、殆ど自給自足の生活をしていました。

お味噌や、保存食、様々な食品も家で作っていたので、とても豊かな食文化の中で生活してきました。

家では鶏を飼い、家で取れた卵を食べ、卵を産めなくなった鶏はつぶして食べて…そんな自然のサイクルを小さな頃から見てきました。

小学校高学年まで、家のお風呂は薪のお風呂でしたし、同世代の方々で同じような生活をされている人を見つける方が難しいような、そんな田舎生活をしていた私でした。

父親のお兄さんの家ではお米や野菜の他に、和牛も育てていました。おじさんの家ではお蚕様を育てて居たり、マムシだカブトムシの幼虫だと、捕まえることが小さい頃から多かったので、生き物全般が全く平気だったので、怪我をしたイグアナも保護していました。

また、田舎の人間は山を持っているのが当たり前だったりするので、しょっちゅう山に入っては山菜採りをしたり、畑に行く道のりの所、山の中に入り道中で採れるふきやふきのとう、せりやきのこを採っていました。全て家族の所有する山でした。

だから私は、山が好きで、生き物が好きです。

気がついたら身近にあったのが山であり自然でした。

でも福島の原発事故で、放射能漏れが起き、山々は汚染されました。

しいたけ農家をしていた伯母さんは、しいたけ農家を辞めました。

魚の養殖をしていた知人は、原発事故の影響で廃業、人々は翻弄されたし、自然には今も汚染された物質が残っています。

それから、私と私達家族は、震災直後に病気で亡くなる祖母を看取り、実家の家は地震で倒壊はしませんでしたが、亀裂が入ってしまいこのまま住むことは難しいし、様々な理由からふるさとを手放し、別な土地に住まいを移しました。

姉は娘が居てまだ小さかったのですが、姪っ子を連れて関東の病院へ再就職しました。

震災後は、病院の医師や看護師が次々と辞めてしまい、残された医療従事者はてんやわんやでした。

姉はずっと忙しく働いてきていますし、今もコロナ禍の中で指定病院で働いていますので本当に大変だと思います。がんの患者さんや、手術後の患者さんと見てきて、現在は集中治療室に入っている患者さんのケアをしています。

その合間には学会や研究発表会等がありまして、本当に忙しいのです。

一緒に働いていた同僚は、激務の末脳出血で倒れてしまい、一命は取り留めましたが離職しました。

何処で暮らしていても安心・安全というのは無いのですが、それでも蛇口を捻った水を飲めないことは、私にとってはショックでした。

何よりも水は宝だと思っていますし、除染作業はまるでまやかしにみえてしまい、その土地に住み続けて変わらないことについて嘆くのだけは嫌だと思い家族で力合わせて行動しました。

大地を作るのにはとても大切な資源になるのが水ですし、人間が生きる上でも水なしでは生きられません。

私は今甲状腺に腫れがあり、甲状腺ホルモンのお薬を飲んで生活しています。

原発事故当時、未成年ではない私は(20代半ば過ぎ頃でした。)こちらも何の対象にもならず、またその当時は久米島に移住し、住民票を抜いていたので、保証金なども頂くこと無く来ています。

ただ、たまたま祖母の危篤と重なり福島に居たタイミングだったので、それはもう仕方のないことですし、甲状腺の病気になっても因果関係を証明することはできないと思うので、しょうがないなぁと思っています。

その頃はまだ、「福島」という名前を出すといじめられたり差別を受けてしまう頃だったので、なるべく公言せずに、補助金なども貰っている等と陰口を叩かれることもあるようなので静かに暮らしてきました。

実際は私の実家は保証対象にはならない地域でした。

しかしその当時祖母が暮らしていた場所は、避難区域と避難区域外のちょうど境目で、地域外の所でした。

境目なんて、所詮は人間が作ったものです。

原発事故の際、沖縄の米軍の家族は国に帰国して避難していました。

ちょうど久米島から沖縄を経由し、東京から福島と飛行機で移動したのも、原発の2回目の爆発があった日でしたが、危機感を感じた多くの人々は、国外に脱出する方も多く、空港はとても混んでいて、色々な温度差を感じた事でもありました。

私は当時、大学の教授をしていた友人に、どうするべきかを聞きまして、放射能に詳しい専門家の方から事態は深刻であり逃げたほうが良いと聞いていたので、地元の福島に帰りましたが、直ぐにその土地は離れる事にしました。

私達家族は戦いも好みませんし静かに暮らしたいだけではあります。勿論今も暮らしている友人や知人そして、親戚が居ます。だからこそ言いづらい事でも有るけれど、自分で行動することも大事だと思うし、未来は自分達で決めるという気持ちも持っています。

2020年12月30日、天皇陛下を京都御所に避難させるようにと元政権が伝えたというニュースも上がっていましたが、当時そのような話をすれば「風評被害」と言われますし、「タブー」が続いていました。

私達家族は、保証対象外ですから、福島の土地を全て手放し、自分たちのお金でなんとか今までやりくりしてきました。

家も売るときには亀裂が入った家は1円にもならず、土地代のみでした。

だけど、良いんです。今命が有るんですから…。

命があるからこうして文章も書けます。

この文章が、どれだけの人の目に触れるかなんてそれは分かりませんが…。

私達家族は、自分の美学を大切にしながら、優しさと思いやりを持って生きていきたいと思います。

自分たちで出来ることは自分たちでするし、他にも困っている人たちが居るからと、父も母も家に亀裂が入った後に申請すれば出るかも知れない補助金は受け取りませんでしたが、これも私達が決めたことです。

私はそんな家に産まれたし、限り有る財源は本当に必要な所に行くべきです。

さくらんぼ狩り中のめるちゃん、お友だちがご自身の敷地の中にある、さくらんぼの木から、沢山採ってもいいよと、連れて行って下さいました。
普段は旅館でお出ししているそうです。

これからも自分の美学は大切にしていきたいし、だけど他人は否定せずに、中道を歩いていきたいです。

私のお友だちがたまたまお坊さんをしているんですが、「めるちゃん、偏っちゃだめだよ、真ん中を歩きなさい」と言ってくださいました言葉がずっと心に刻み込まれています。

極端なことは言わず、否定もせずに、皆が共存共栄していけたらいいよなぁって思っています。

この地球は様々な事をしにやってくる場であり、学び場だと思っています。

出来るだけ日々楽しく、幸せに生きながら、有意義な時間が過ごせたら幸いです。

最後になりますが、ひらがなで「める」でも漢字で「愛路」でもどちらでも良いのですが、字画にすると漢字の方が縁起が良かったのと、漢字で書くと「愛の路(あいのみち)」という意味にもなり、ブログをはじめる上ではその道に沿って言葉を発して行きたく思いましたので漢字でも書いてみることにしました。

これからも「愛路(める)」をどうぞ宜しくお願い致します。